※この記事は、2018年9月に、初めて池島へ行った時の記事です。
この後池島の方々と縁があり何度も池島へ訪れていますが、現在とはフェリーやバスの運行時刻が異なっております。
この他にも記事を書いていますので、そちらをご覧になるか、長崎市のホームページなどで、運行状況をご確認ください。
さて、前回まで3ページも使って、池島の山の頂上付近を紹介しました。
ここからは、いよいよ山を下って行きたいと思います。
池島では山の上から順番に、アパート群の廃墟・店舗跡地となっており、その下が工場の廃墟と、現在も島民がお住まいの住宅地域となっております。
まずはアパート群を少し降りたところにある、店舗の廃墟を紹介いたします。
店舗の廃墟
アパート群から少し下におりたところに、かつて店舗が入っていた建物があります。
バスの運転手さんの話によると、休日には朝からどんちゃん騒ぎが行なわれていたとのこと。
当時、島は好景気だったのでしょう。
この建物は、向かって右側から、喫茶店・ボーリング場・雀荘・スナックが入っていたようです。
こちらの道路に面したところの並びの店舗の中には、現在も営業されている店舗もあるため、廃墟ではありません。
店舗群の写真を撮影したところで、帰りの船の時間もあるので、ここからさらに下へと向かっていきます。
それにしても雨の中の撮影なので、全体的に写真が暗い。
住宅地
写真の右側が工場の廃墟、左側が今も島民が住んでおられる住宅街。
ここから先は、実際に住んでおられる方がいる住宅地域なので、大声で騒いだりしないように注意が必要です。
職業病
やはり、鍵屋と言う仕事柄、どこへ行っても鍵穴が気になります。
こちらは、住宅街の一角にあったスナックの跡地。
ドアをふと見ると、美和ロックが旧TOSTEM(現LIXIL)向けにOEMで作った錠前で、錠ケースにPA-02とGAE-2が採用されているものが付いている。
と言う事は、1990年代に作られたドアなので、その時期に建てられたか、もしくはその時期にドア周りをリフォームしている建物だと言う事がわかります。つまり、少なくとも時期までは営業をしていたと言うこと。
もしかしたら、割と最近まで営業をしていたのかもしれません。
軍艦島で知られる端島は炭鉱が1974年に閉山になったのに対し、池島は2001年まで炭鉱が稼働していたようなので、その時期にお店が営業していてもなんら不思議ではありませんが。
鍵穴と言えば、人が住んでいないであろう建物の鍵穴を見ると、見事に塩で塞がっています。
人が現に住んでいるところでも、仕事で海に面した家に鍵交換に行った時は、錠本体から塩がボロッと出てくる時がありますが、人が住んでいないと、こんなにまでびっしりと埋まってしまうんだなと驚きました。
それにしても、観光に来ているのに、どんな鍵が使われているかふと見てしまうなんて、職業病です。
ところで、防犯の関係上、写真を載せるのは控えようと思いますが、今も営業しておられる会社の勝手口の鍵穴をふと見て驚きました。
なんと、出入り口なのに、室内に使うための室内錠が使われていたのです。
室内錠なので、防犯性能が全くなく、ピッキングで簡単に開くのはもちろん、そのようなプロの解錠方法を使わなくても、ドライバーなどで簡単に開いてしまう可能性のあるものでした。
もちろん、内締りで外から開けれない物が室内側の別の場所に付いている可能性はありますが、これを表側に付けていても大丈夫だなんて、ここは平和な場所だなと思いました。
しかしながら、付近にあった市の公共施設は、鍵穴にディンプルキーが採用されていて、そこまで強化しなくてもと思ったりしました。
ふたたび池島港
そんな感じで、職業病的な観察をしながら、一番下までおりて、ふたたび池島港近辺へ戻って来ました。
人によっては、池島へ来て、最初の方で目にする、「ようこそ池島へ」のモニュメント(?)
私は、池島港に来てすぐに、コミュニティバスに飛び乗ったので、最後戻って来て初めて見ました。