阪神淡路大震災から30年

2025年1月17日、阪神淡路大震災から30年を迎え、当時16歳、高校一年生だった自分も、46歳となりました。

30年経ち、当たり前の日常が、実は当たり前ではないということを、忘れつつあります。

 

幸い、家は全壊認定されるほどではありましたが、私の家族は全員無事でした。

 

震災発生時は、そこかしこでガス漏れがあるのか、外はガス臭い状態でした。

そんな中、遠くの方で火災が発生し、その火がこちらまで来てしまったら無事ではいられなかったと思いますが、幸い火がこちらに来る前に消防隊員の皆様により消し止められました。

 

また幸いだったのは、我が家があるエリアは送電線の断線もなく、地震発生後からの停電が、数時間後に解消され、電気が点くようになり、不安な夜を電気のおかげで幾分か軽い気持ちで超えることが出来ました。

(ガス・水道は復旧まで3~4ヶ月くらいかかりました)

 

ところで先ほど、遠くの方で火災が発生したと書きました。

当時住んでいたのは、5階建ての住宅の3階の部屋で、外には建物が立ち並び、見晴らしは良くありませんでした。

にもかかわらず、遠くの火の手が見えた。

これはどういう事か。

 

地震発生が夜明け前だったのですが、直後は街一面が停電しており真っ暗でしたので気づきませんでしたが、日が昇って来て辺りが明るくなり始めてから、その意味が分かりました。

 

つまり、家の前に並んでいた住宅が倒壊しており、そのせいで普段見えない遠くまでが見えていたというわけです。

 

ところで余談ではありますが、家の目の前には2階建てのアパートがたくさん並んでいたのですが、どの建物も一階部分がつぶされ半分の高さになっており、二階が相対的に下がっていて、一階半の高さになっていました。

ダルマ落としの下のコマを何個か落として、上のダルマが下に下りて来ている状態のような感じの状態です。

 

その建物に同級生や知人など沢山住んでいたのですが、幸い皆様に全員無事でした。

 

一階に寝ていた方もおられたのですが、その方の話によると、二階部分が落ちてきたが、ソファーが二階部分を支えたため助かったとの事です。

 

それ以来私は、ソファーやベッドは強度のある物を選ぼうと思いました。

皆様もソファーなどを購入する際は、ご参考にされてみて下さい。

崩れてしまった生家

住んでいた建物はヒビだらけで、ところどころコンクリートが剝がれ落ち、鉄筋がむき出しではありましたが、傾きもなくしっかりしていました。

後日の調査で半壊認定の黄色紙(気を付けて住んでよい)が貼られるような状態でしたので、地震が発生した日の夜は、いつも通り家族で家にいました。

(その後、数か月経ったころに、建物の修復が困難との事で、全壊認定となったのですが、地震発生当時は住むことはできる状態でした)

 

夜、家族で一部屋に集まり、余震もかなり続いていて不安だったので、一晩中テレビをつけて、電気を明々と点けておりました。

 

その時に流れてきたニュースで、ニュースキャスターが

「神戸市東灘区の○○住宅では、天井が落ちてくると言う叫び声とともに、マンションの一部が倒壊しました。」

と読み上げました。

 

そのマンションは、生まれたときに住んでいた場所で、自分たちが引っ越した後も、祖母が長く住んでいたマンションでした。

祖母は震災の前にすでに亡くなっていたので、地震の被害には遭っていないのですが、そのマンションには顔を合わせたこともある人が何人かおりましたので、恐ろしい気持ちになりました。

神戸市東灘区の住吉川付近
神戸市東灘区の生家があった辺り。川の左側にマンションがあった。
住吉川の遊歩道
子どもの頃、この川でよく遊んだ。

復興が進み明るくなった阪神地区

写真は通っていた高校付近の夜景です。

震災発生当時は高校一年生でした。

 

震災前は学校行事や部活動で遅くなる事があり、帰宅時にはこの夜景が見えておりました。

 

震災後は、校舎の安全が確認されるまで、しばらく休校で、その後一か月ほどしてから再開となりましたが、しばらくは学校の時間も短く、避難生活を余儀なくされている生徒も多く、自分を含めほとんど皆がガス水道がなく風呂に入れない生活をしているためか、部活動などもしばらくなく、夜景を観ておりませんが、おそらくその頃は震災前に比べると明るくなかったと思います。

 

その夜景も現在は震災前の状態に戻っています。

高校の門からの夜景
通っていた高校の門付近
高校近くからの夜景

ところで、私のプロフィールに、両親が小さなお店を営んでいたと書いてあります。

そのお店は、震災の影響で潰れてしまいました。

 

そんなわけで私たち家族も、震災から十数年、震災の影響で大変な思いをしましたが、ありがたいことに今は普通の生活に戻りました。

 

震災から30年経ち、今享受している当たり前の生活が、実は当たり前ではないと言ったことを忘れつつあります。

 

しかし、今この福岡で私が無事に生活出来ておりますのは、顧客の皆様が仕事を下さるおかげでありますし、また地域の皆さまが自治に励んでくださるおかげであります。

 

そのことを忘れず、今日からまた、仕事にも地域の活動にも、しっかりと取り組んで参りたいと思います。

皆さまいつもありがとうございます。

カギの救助隊福岡の電話番号一覧